翌朝しらじらと夜が明け始める頃、クマは目を開き、
隣りで丸くなって眠るあどけない少女のほっぺに、
気づかれないくらいの小さなキスをしました。
クマはそっとねぶくろを離れます。
暖炉に細い木を足して小さな火をつくり、
ゆっくりと温まるようにスープのナベをつがいに渡してから、
朝一番の新鮮なハチミツをもらうため、いさぎよく扉を開き、
森の奥へ歩いてゆくのです。
扉を閉める時。
振り返るとちょうど少女は寝返りを打ち、
何かに向けて優しくほほえむのでした。
踏み出した森の景色は心なしか昨日と少しだけ違うような気がしましたが、
それは彼女と過ごした親密な夜のせいかもしれません。
ところどころにうっすらとにんげんの匂いがしますが、
それもイタズラな彼女のフットワークかとと思うと、
クマはいろんなことが一緒におかしくなって、ほほえむのでした。
クマは森の奥へと進んで行きます。
山麓の急な斜面の、手付かずの水が沸く場に着きました。
クマはいつものようにまず水を口に含みその甘味を確かめてから、
立てかけてあった竹の筒を湧き水で満たします。
そしてゆっくりと谷あいをつたい、みつばちの巣に向かいます。
遠く山脈に積もる雪を朝の白い太陽が純白に輝かせてます。
空は透き通って青く、雲は限りなく自由に、鳥はその憧れを唄い世界を見渡しています。
土に、空に、木々に、すべてに。
手に触れるあたたかな幸せを、今、ぼくは目を閉じて神様に感謝しよう・・・。
バリバリバリッ!?
そのとき、けたたましい羽音が空から降って来ました。
見上げるとみつばちの大群が一斉に空を黒く染めています。
「クマさんクマさん!たいへん!」
ハチたちはクマに叫びます。
「おはよう、水はここだよ」
「違う、わたしたちのこどもと女王がっ!!」
「一体どうしたんですかっ!!」
「たすけてー!!」
みつばちはクマを谷あいの森にある泉へけたたましい羽音とともに誘導します。
クマがつむじ風のように地を駆け抜けて泉に着くと…な、なんということでしょうかっ!!!
泉の中央に浮かぶ枯れ木の上、出口をおおわれたみつばちの巣に火が放たれ、
赤く残酷に燃え上がっていました。
「・・・・・これは?!」
「あの中に女王と80匹の仲間、わたしたちの妻、わたしたちの子供が閉じ込められ、いま焼かれているのです」
クマは絶句します・・・なんでこんなことが・・・。
一瞬に視界が純白になり、クマは野生の咆哮を森中にとどろかせます。
そしてクマは泉に飛び込み、水を勢いよく跳ね上げながら猛然と中央に向け、
クマはて手を回し足をこぎます。
しかし…なんだ…コレはなんだっ?!
その手足には一瞬にして藻が絡まり、
たちまちクマは身動きが取れなくなってしまいました。
ウガガアガ・・・ゴフウウ・・・
必死で手足を動かそうとするのですが、藻はよけいにクマを締め上げ、
ずるずると泉の底へ引きずり込みます。
かたや泉の中央では巣に放たれた火がその勢いを増し、
閉じ込められたみちばちたちの悲痛な羽音、その周りを囲むみつばちたちの叫び声、
妻やこどもを助けようと火に飛び込むものたちの焼かれる匂い、うめき、きしみ。
断末魔、地獄絵図がクマの眼に映ります。
理不尽な痛み・・・哀しみ・・・苦しみ…。
クマの手足はしびれ、神経が寸断されました。
口から漏れた水がのど通り胃を徐々に満たしてゆくのを感じました。
かろうじて空気に触れていた鼻はもはや波の気まぐれに遊ばれ、
少しずつその身体は沈んでゆきます。
そしてクマは自らの死を覚悟するのでした。
むせび、のどをつたう水はクマに涙の味を思わせました。
世界は赤く白く揺れて、すべての空気を使い切ったあと…黒く消えてゆきます。
クマは遠い、遠い青を、遊ぶ水の向こうの遠くに見ました。
そして最期に少女の美しいほほえみを自分のすぐ近くに見ました。
今、世界は静かに消えてゆきました…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そのとき…少女は笑っていました。
バンガローで目を覚まし、森と太陽で出来た朝の空気を胸いっぱいに満たしながら。
そして少年も笑っていました。
泉のほとり、木陰に隠れ、そのすべてを見届けながら・・・。
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